【第2回】「楽しみつつ、ひとつのことをやり遂げる」波戸場承龍先生に学ぶ、デザイナーとしての精神

「家紋のデザインをアート作品にする」という発想は、どのようにして生まれたのでしょうか。

こんにちは。manavi編集部です。

先週に引き続き、 「紋章上繪師(もんしょううわえし)」の波戸場承龍先生にお話を伺っていきましょう。

前回の記事では、先生の作品についても触れながら、「家紋とは何か」や「 紋章上繪師・デザイナーとしての仕事内容」をお聞きしました。以下のリンクから閲覧することができます。

家紋らしさとカッコよさが両立したデザインを作り出すデザイナーとしての技術や感性をお持ちの波戸場先生ですが、これらはどのような環境で培われてきたのでしょうか。

2回目となる今週は、波戸場先生の「デザインを始めたきっかけ」や「学生時代」についてのエピソードをお聞きし、家紋デザイナーの誕生に迫りたいと思います。

それでは波戸場先生、よろしくお願いいたします。

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着物を着る人が激減!その時先生は…

前回の記事でご紹介したように、波戸場先生のアート作品は企業ロゴや建物など、様々なところで見かけることができます。

インタビュアーの私も、先日東京日本橋にある「アートアクアリウム美術館」に足を運んできました。入口の看板には、先生がデザインされたイベントロゴが存在感を放っています。

「アートアクアリウム美術館」入場口

家紋の特徴である円と直線を基調としたカッコよさがありながら、金魚の背びれ部分の非対称性が優雅に泳ぐ姿を連想させ、美術館のテーマである「日本の美意識」と「生命のダイナミズム」を感じさせる…まさにプロの仕事です!

素敵なデザインをされる先生ですが、もともとは伝統技術を受け継いできた紋章上繪師です。「着物に家紋を入れる」という職業の枠を飛び越え、活躍の場を広げたきっかけはなんだったのでしょうか。

どうして「家紋デザイナー」をはじめられたのですか?

紋章上繪師の三代目として生まれ、高校を卒業して5年の修行後、独立したのが昭和55年でした。

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昭和50年代はテレビやラジオショッピングで留袖や喪服が飛ぶように売れた時代で、毎日、とてもとても忙しい日々でした。

しかしながら、業界としては次第に手描きだけでは受注に追いつかなくなり、紋入れという仕事が、昭和40年代に開発されたシルクスクリーンへと移って行きました。

平成に入ると、着物離れもあって上絵の仕事は減る一方だったので、白生地から仕立てまでして納める着物の総合加工の仕事もしましたが、何か自分だけが出来ることは無いか、楽しい仕事がしたいと考えていた時に、お客様からオリジナルの家紋が欲しいとの依頼を請けました。

デザインの勉強をしたことはありませんでしたが、これまで何万種類もの家紋を見て来ましたから、構成や変形のパターンは熟知しており、新しい家紋のデザインに挑戦してみたところ、お客様に大変喜んで頂けました。

この経験が転機となり、50歳のタイミングで、新しい家紋を制作したり、家紋をベースにさまざまなデザインを行うビジネスに仕事の舵を切りました。

初めは、ビジネスモデルが分からないと言われましたが、家紋の魅力を伝えることが楽しくて、常に美しい形を追求しながら、発注してくださる方がいかに喜んでくれるかを考えながら仕事をしていたら、徐々に興味を持ってくださる方が増え、色々な仕事を紹介して頂けるようになりました。

現在では、映像クリエイターの方とコラボしたり、ファションやホテルのグラフィックの仕事をさせて頂いたり、当初の想像を超えた仕事をさせていただけるようになりました。

時代の変化と自分の技術・やりたいことがマッチして誕生した「家紋デザイナー」なんですね。

家業と同じ道を選んだことから始まった先生のお仕事も、時代の変化に伴って変化してきたということでした。着物を着る人が減るという、お仕事の基盤を揺るがす事態に「着物以外の市場」に目を向け、自身の「家紋を描く技術」を結びつけたセンスが素晴らしいですよね。

50歳という年齢で新しいことに挑戦する勇気も驚きですが、はじめは「デザインの勉強をしたことがなかった」というのもさらに驚きです。

未知の領域であるデザインのお仕事に踏み出し、数年でたくさんの作品を生み出すことができたのは、波戸場先生にとって家紋のデザインが「自分にしかできない仕事」であり、「楽しい仕事」であることがポイントのように思えます。

「家紋のことは知り尽くしている」という自信と「その魅力を伝えるのは楽しい」という想いがあったからこそ、努力を重ねて、ご自身のブランドを確立できたのだと感じました。

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自転車にかけた高校時代

職人さんの家系に生まれて、自身も職人の道を選んだ先生ですが、次の質問は「学生時代」について伺ってみましょう。

どんな学生時代を過ごされましたか?

同業者の勧めで、八王子の色染化学科がある工業高校に実家の中野から通いました。繊維の成分、織物の組織、染色の実践、薬品の扱い方などを体系的に学べたので、その後の仕事にも役に立ちました。

また、学校には村山大島紬の染色工場の息子がいて、板染めの現場を見る機会にも恵まれました。

「村山大島紬」の写真

高校時代の思い出と言えば、仕事とは全く関係ないのですが、自転車同好会に入部したことが1番の思い出です。発足して1年足らずの同好会で、先輩は2年生が3人だけでした。

自転車同好会と言うと、のんびりしたクラブのようですが、競輪場のトラックを走る競技に加え、一般道を数10キロ走るロードレースをする同好会です。中学時代は、サッカー部と陸上部に所属していたので、脚力には自信がありました。

このようなイメージでしょうか…?

競技自体の歴史が新しく競技人口も少なかったのか、入部早々、東京大会で優勝し、関東大会を経てインターハイへの切符を手にしました。しかし、残念なことに前日、怪我をしてしまい、その時は出場が叶いませんでした。

その後も練習を続けたおかげで、2年生の時に佐賀県武雄市で行われたインターハイに出場を果たしました。往路は夜行列車で行きましたが、顧問の先生が車で佐賀入りしてくれたので、復路は武雄から車で南下、阿蘇〜高千穂峡に寄り、日向からフェリーに乗って帰って来ました。当時、九州に行くことなどあまりなかったので、先生と一緒に夏休み旅行をしたような感じで、とても楽しかったことを思い出します。

3年生の時には第29回茨城国民体育大会に出場し、昭和天皇の前で行進したことを今でも鮮明に覚えています。

高校3年間は、紋章上繪師になることから離れ、自転車に青春をかけた3年間でした。

家業を意識して学校を選びつつも、スポーツにも打ち込んだ高校生活だったのですね。

お話の中にあった「 村山大島紬 」とは東京都武蔵村山市周辺で生産されている絹織物のことで、伝統工芸品にも指定されています。

繊維産業に従事する一家に生まれた仲間がいたことも、 色染化学科でのご家業に関する学びをする上で、モチベーションアップにもつながっていたかもしれませんね。

とはいえ、一番の思い出として語っていただいたのは、部活動。自転車競技での国体・総体出場の経験をお持ちとのことでした!しかも、ケガを乗り越えて高校3年間結果を出し続けたのは素晴らしいですよね。

高校生の波戸場先生にとって、自転車競技は将来就こうと思っている仕事とは関係ないものだったかもしれませんが、「高校生活の充実感」を上げてくれたことは間違いないはずです。

お子様の学校・学科選びの際には、「就職に強くなれるか」や「学びたいことが学べるか」を意識すると同時に 、校風や設備などの環境も参考にしながら「その学校でどう過ごしたいか」をお子様と一緒にイメージすることも大切にしたいですね。

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数学はデザインに通ずる?

家業に関することを学びながら、自転車に青春をかけた波戸場先生の高校生活を振り返り、「紋章上繪師・デザイナーとなられた今、役になっていること」をお聞きして、第2回最後の質問にしましょう。

学生時代の勉強や経験で、今のお仕事に役立っていることはありますか?

数学好きは今でも健在で、紋の描き方にも役立っています。紋の幾何学的な形には数学的な理論が隠されていることが多いのです。

好きな科目は数学で、計算尺部に入っていました。対数の原理を利用したアナログ式の計算用具で、理工学系設計計算や測量などの用途に利用されたものですが、1972年に世界初のポケットに入る関数電卓が登場すると、1980年頃には生産が中止されてしまいましたからご存知ない方が多いと思います。

「計算尺」の写真

また、大したことではないのですが、染色をする時に使う薬品の瓶を持つ時、注いだ後に口から垂れた薬品がラベルに付くのを防ぐために、必ずラベル側を持つように教えられました。臭いは鼻を近づけて直接嗅がない。手のひらで仰ぐようにして嗅ぐ、ということを身につけました。

部活として所属していた自転車同好会では、八王子(学校)〜高尾〜大垂水峠を越え相模湖〜津久井湖〜橋本〜片倉〜八王子(学校)まで、毎日、約47Kmをひたすら自転車で走る練習をしていました。途中でタイヤがパンクしてしまい、ヒッチハイクでダンプに乗せてもらったり、自宅の中野から自転車通学(約40Km)をしたこともありました。

ひとつのことをやり遂げる精神は、この経験から養われたと思います。今でも自転車に乗ると血が騒ぎます。

色染化学の知識以外にも、数学の理論や部活で養われた精神が今の先生を支えているのですね。

「数学好き」が幾何学的な家紋のデザインに活きていることをお話いただきました。

今日、様々な場所で「数学的な見方・考え方が重要である」と言われています。

「数学的な物の見方」とは 「物事の特徴や本質を捉える視点、思考の進め方や方向性」を意味します。 お話にあった 計算尺部での活動とも関係があるように思えます。

計算尺とは、詳しい説明は省きますが、「掛け算は対数同士の足し算に変換することができる性質」を利用して乗算ができる道具です。

計算式を入力すれば結果が出る電卓とは異なり、計算のためには高校数学で習う対数や三角関数の性質を頭の中で整理して、上手く扱わなければなりませんので、部活動を通して波戸場先生の数学的な思考力は大いに鍛えられたことでしょう。

その経験が、家紋の特徴を捉えたり、描きたい図形を直線や円の成分に分解したりといった「数学的な物の見方」となって、先生のデザインに役立っているのではないでしょうか。

波戸場承龍先生と御子息の耀次先生の共著に『誰でもできるコンパスと定規で描く「紋」 UWAEMON』という書籍がありますが、まさに数学がデザインの基本となっていることが実感できるものになっています。小学生くらいからなら誰でも(大人でも)楽しめるようになっていますので、ぜひ、お手にとってみてください。

詳しくはこちらから

また、過酷な自転車の練習で身についた「ひとつのことをやりとげる精神」というのも、家紋のカッコよさや美しさへのこだわり・探究心や、それを現代風にデザインし直す難しさに挑戦し続ける原動力になっているのを感じます。

様々な情報に触れることができ、興味や好奇心を誘うものが次から次へとあふれてくる現代において、一芸に秀でた存在になるためには、学生時代から「ひとつのことをやりとげる精神」を育むことも重要なのかもしれませんね。

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学びのヒント

波戸場先生、今週もありがとうございました。

先生のこれまでの歩みから、以下のような学びのヒントが挙げられると思います。

ヒント

・自分だけが出来る、楽しいことを見つけよう

・ひとつのことに集中してやり遂げる精神を持とう

「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、楽しさや好きだ!という気持ちが努力し続ける自然なモチベーションにつながっていくように思います。

最初は分かりにくいと思われた家紋デザインのビジネスも、波戸場先生ご自身が楽しみ、継続的な活動をしたことで実を結びました。

お子様の学習や活動に関しても、まずは感じた「楽しい!」を大切に、その気持ちを長く持ち続けて、最終的には「これには自信がある!」と人生を支えてくれる要素になって欲しいですよね。

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manaviおすすめの本

今回の記事に関連したおすすめの書籍をご紹介させていただきます。

関連書籍

小学 漢字新字典

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小学校で学ぶ漢字1字1字について詳しく書かれた、『小学 漢字新字典』をご紹介させていただきました。

波戸場先生が研究されてきた何万という家紋の数には及びませんが、小学漢字1026字の「成り立ち」や「美しい書き方」を学ぶことができます。「漢字の形」にもこだわって学ぶことができるのが特徴です。1冊を読み込むのは、お子様には大変かもしれませんが、必ず「漢字への自信」になると思います。

漢字は中学・高校でも学び、大人になってからも必ず使うものです。成り立ちや部首など、「漢字の形」に注目する癖をつけ、その後の学習にも役立ていただければと思います。

今回の賢者

波戸場 承龍

着物に家紋を手で描き入れる紋章上繪師としての技術を継承する一方、家紋の魅力を新しい形で表現するアート作品を制作。
紋章上繪師ならではの「紋曼荼羅®」というオリジナル技法を生み出し、家紋やロゴデザインの域を超えて、森羅万象を描き出す職人兼デザイナー。

著書『紋の辞典』『誰でもできる コンパスと定規で描く「紋」 UWAEMON』

波戸場先生の詳しい情報はこちらから

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