【第6回】ブンポウってナニソレ、おいしいの?②:「主語/述語」
小池 陽慈先生
こんにちは。現代文講師の小池です。
前回から「文法」についてのお話に入りましたが、「文節」についてはおおよそご理解いただけましたでしょうか。
もしまだ不安があるという方は、前回の記事を再度お読みになってから、本稿に挑戦していただければと思います。
さて、本稿で学ぶ内容は、〈主語/述語〉です。
前回の記事で次のことを強調させていただきました。
小中学校できちんと「国文法」を体得した子は、高校以降の国語(現代文・古文・漢文)において、極めて合理的に学習を進めることができる。
つまり、小中学校で学習する国文法はその後の国語学習ないし文章読解の土台となるんですね。
よって「ブンポウ」は、ずばり、「おいしい」わけです。
そして、今回学習する〈主語/述語〉という考え方は、そのなかでもとりわけ重要な項目であるということを、ここに強調しておきたいと思います。
少しだけ前回の確認をしておきましょう!
まず、色々な説明の仕方はありますが、当シリーズにおいては、「文節」を、「自立語から次の自立語の直前までの範囲」と定義しました。
つまり、
明日彼女は学校と塾へ行く。
という一文(自立語は大文字・太字)を文節に区切ると、
明日/彼女は/学校と/塾へ/行く。
となったわけですね。
そして今回のテーマに基づいて考えるならば、この「行く」という文節が一文の中で担っている役割こそが、〈述語〉と呼ばれるものなのです。
もう少し詳しく見てみましょう!
国文法においては、日本語には3つの型があるとされます。
それは、
① 何が(誰が)→ どうする。
② 何が(誰が)→ どんなだ。
③ 何が(誰が)→ 何だ。
というものになります。
より具体的に見るなら、
① 何が(誰が)→ どうする【動き】。
➡︎犬が走る。
➡飛行機が離陸した。
② 何が(誰が)→ どんなだ【様子・状態・性質】。
➡︎花がきれいだ。
➡景色が美しい。
③ 何が(誰が)→ 何だ【名詞+だ】。
➡︎これは本だ。
➡彼は学生だ。
ということですね。
日本語は、大きくこの3つの型に分類できるというわけですが、ここで各文の最後にある「どうする」「どんなだ」「何だ」という文節もしくは連文節のことを、その一文の〈述語〉と呼ぶわけです。
*連文節については、前回の記事をご覧ください。
そして、語順の入れ替え(=倒置)や省略がないかぎり、原則として日本語の〈述語〉は、一文の最後の文節(もしくは連文節)に位置します。
ですから、文の構造を押さえる際には、まず〈述語〉を見つけるのが先決ということになります。
その上で、そうした手続き上の話のみならず、
日本語の文は〈述語〉を軸として成り立つ
と考えることも大切になります。
他の文節の持つ働きのうち、とりわけ重要になってくる〈主語〉や〈(連用)修飾語〉は、この〈述語〉との関係性の中において確認されるものであるからです。
*国文法における〈連用修飾語〉は英文法での〈目的語〉を含む概念であり、ここで想定しているのは、まさにその〈目的語〉であるとお考えください。詳しくは、次回で!
以下の例文を見てみましょう。
チューリップが、とても広い庭の片隅に、かわいらしく咲いた。
まず、文節に分けてみます。自立語を大文字・太字で、付属語を小さな字で示すと、
チューリップが、とても広い庭の片隅に、かわいらしく咲いた。
となりますから、
チューリップが、/ とても/ 広い/庭の/片隅に、/かわいらしく/咲いた。
と文節に分けることができますね。
では、この文における〈述語〉はどれに当たるでしょうか?
述語➡︎原則として文の末尾にある文節で、「どうする」「どんなだ」「何だ」という意味を担う
上記のルールを参照すれば、この一文の〈述語〉が「咲いた」であることは、すぐに判断できたはずです。
さて、上の例文について、その〈述語〉は「咲いた」であると確認できましたが、ではいったい、"何"が「咲いた」のでしょうか。
もちろん、「"チューリップ"が」ですよね。
このように、〈述語〉である「どうする」「どんなだ」「何だ」に対して、"何が"それをしたのか、"何が"そうなのか、を示す文節(連文節)のことを、〈主語〉と呼びます。
つまり上記の例文は、突き詰めていくと次のような構造で成り立っています。
チューリップが = 主語 + 咲いた = 述語
なお、日本語はこの〈主語〉というものを必ずしも明確に示す言語ではないと言われ、日本語における〈主語〉という機能の存在を否定する説もあったりします。
一般的な国語学習においてそこまで詳しく知る必要はありませんが、少なくとも、「どうする」「どんなだ」「何だ」に対する"何が"という情報は、必ずしも明示されているわけではない、という点についてはご留意ください。
もう少し確認してみましょう!
以下の例文をご覧ください。
成績も優秀でスポーツも得意な彼は、生徒会長だ。
この例文、文節に分けると、
成績も /優秀で/スポーツも /得意な/彼は、/生徒会長だ。
となりますが、一文全体の「どうする」「どんなだ」「何だ」に該当する文節、すなわち〈述語〉はもちろん、「生徒会長だ」です。「何だ【名詞+だ】」のパターンですね。
では、いったい"誰"が、「生徒会長」なのでしょうか。
つまり、「生徒会長だ」という〈述語〉に対する〈主語〉は、どこでしょうか。
それは当然、「彼は」ということになります。
つまりこの一文は次のような構造で成立していると考えられます。
彼は = 主語 + 生徒会長だ = 述語
けれども、ここで「彼は」の「彼」には、「成績も優秀でスポーツも得意な」という修飾語が係っていますよね。つまり「成績も優秀でスポーツも得意な彼は」という複数の文節を"一つのまとまり"として考えることができるのです。
となると、この一文の構造は、
成績も優秀でスポーツも得意な彼は = 連文節としての主語 + 生徒会長だ = 述語
と整理することもできるわけです。
このように、文の成分(主語・修飾語・述語、等)は、一つの文節ではなく連文節として機能していることも多いので、文の構造をつかむ際には、その点も要注意ということになります。上の例文では〈主語〉が連文節であったわけですが、例えば、
彼女は、/ 成績も /優秀で/スポーツも /得意な/生徒会長だ。
という文なら、
彼女は = 主語 + 成績も優秀でスポーツも得意な生徒会長だ = 連文節としての述語
となりますよね。
では、ここまで確認してきた〈主語/述語〉という考え方を用いて、実際に、大学入試の問題を読解してみましょう。
*コロラリー…容易に引き出せる結論。必然的な結果。
傍線部「発信している人自身を損なう」とはどういう意味か。本文の表現を用いて六十字以内で説明せよ。
(『大学入試 ステップアップ/現代文(完成)』p.8-11より抜粋)
ここまでの内容を踏まえるなら、傍線部「発信している人自身を損なう」の「損なう」が傍線部中で〈述語〉として機能していることは、すぐにわかると思います。
となると、傍線部の意味を説明するうえで決定的に欠けている要素は、「損なう」という〈述語〉に対する〈主語〉ですよね。
いったい"何"が、「発信している人自身を損なう」のか。
そこで傍線を含む一文を読むと、
攻撃的な言葉が標的にされた人を傷つけるからだけではなく、そのような言葉は、発信している人自身を損なうからです。
とあります。
もちろん、傍線部直前の「そのような言葉は」という連文節が、「損なう」という〈述語〉に対する〈主語〉ということになります。
そしてそこに含まれる「そのような」の指示対象を復元すると、傍線部は次のように詳述できます。
最終的に責任を取る個人がいない言葉は、発信している人自身を損なう
もちろん、「発信している人自身を損なう」という箇所は傍線部そのままの表現で、このままでは説明したことになりません。
ですので、続く内容から、「その発信者の存在根拠を溶かしてゆきます」や「人間の生命力は確実に衰微してゆく」あたりの表現を拾って言い換えましょう。
すると、
責任の明らかではない発言を繰り返すことは、発信者の存在根拠をなくすことであり、生命力も衰微してゆくという意味。(55字)
といったような解答を記述することができるのですね。
大学受験の現代文の問題を例題として挙げさせていただきましたが、実は述語に傍線が引いてあり、その内容等を問う設問は頻出します。
それはおそらく、多くの出題者が、
〈述語〉に着目して〈主語〉を把握することが、文の読解の基本である!
という認識を共有しているからではないでしょうか。
どうでしょう。国語における「ブンポウ」なるものの大切さ、いや、その"おいしさ"について、少しはご納得いただけましたでしょうか。
小中学校の授業で学習する国文法は、どうしても文法問題を解くための知識という色が強くなっています。
しかし、実はこの国文法というものは、文章の正確な読み取りのための大切なツールなのですね。
そういったイメージを持って、小中学校での国文法学習を進めていけると、国文法を本当の意味で「使える」ようになるでしょう。
では、今回はここまでとなります。
次回は、同じく文節の働きで重要な役割を果たす、〈(連用)修飾語〉についてお話させていただきます。
もちろんそれも、"読解のためのツール"として。
ご期待ください!