【第5回】ブンポウってナニソレ、おいしいの?①:「文節」
小池 陽慈先生
こんにちは。現代文講師の小池です。
ここまで第1回から第4回にかけて、日本語における〈熟語〉という言葉に目を向け、語彙の大切さと、それを増やす方法について説明してきました。
今回からは、心機一転、「文法」についてお話させていただきます。もちろん、小中学校で学ぶ、「国文法」です。
名付けて、「ブンポウってナニソレ、おいしいの?」シリーズ!!
結論から言いましょう。
「ブンポウ」は、ずばり、「おいしい」と……!
日本語の骨組みを抽出した体系である国文法が、国語学習の土台となる。それは、当然すぎるほどに当然なことであるはずです。
とりわけ、小中学校できちんと「国文法」を体得した子は、高校以降の国語(現代文・古文・漢文)において、極めて合理的に学習を進めることができるんですね。
つまりは、一度で二度「おいしい」なんてもんじゃない!一度で三度、いや四度、いやもっと「おいしい」のです!
というわけで、今回からしばらく、小中学校で学ぶ国文法、その中でもとりわけ重要な項目に関して、解説していきたいと思います。
そして、その1回目となる今回は、「文節」について主にお話しさせていただきます。
「昔、勉強したけど、何だっけ?」という保護者の方もいらっしゃるかもしれません。
ぜひ、「そんなのあったあった!」と昔の学びを懐かしむような気持ちで読んでいただけますと幸いです。
私たちは、「。」(句点)で結ばれたひと続きの言葉でまとまった内容を表したものを、「文」と呼びます。
文章にあっては、句点(。)の後から次の句点までのまとまりと解釈することもできるでしょう。
例えば、以下の文章は、いくつの文でできているでしょうか?
今日僕は学校へ行き、休み時間にサッカーをした。楽しかった。けれど、転んでひざをすりむいてしまったので、悲しくなった。
「。」(句点)までを 1文として区切っていくと、次のようになりますね。
以上、3つの文で構成されていることになります。つまり、文章とは、複数の文が組み合わさって成り立つものなんですね。
ところで、文章を構成する要素としての文ですが、この文もまた、さらに細かく分割することができます。そしてその際、
「意味の通じる範囲で分割した、最小の単位」
のことを、文節と呼びます。
「文を、意味の通じる範囲で分割した、最小の単位? なんだかよくわからないなぁ……」
と思われた方、そうですよね。これだけでは、確かに何のことかよくイメージできません。ですので、次の章で例を挙げながら説明させていただきます。
明日彼女は学校と塾へ行く。
この文を細かく切り刻んでいった場合、どのように分割できるでしょうか。
「明日」を「明」と「日」に分けるといったような、「語」を分割することは、今回は考えないでください。
すると、
明日/彼女/は/学校/と/塾/へ/行く。
このように分けた方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
もちろん、この分け方は、とある観点からは非常に正しい。ただ、今確認している「文節(=文を、意味の通じる範囲で分割した、最小の単位)」という観点からは、残念ながら間違いということになります。
というのは、「明日」「彼女」「学校」「塾」「行く」は、それぞれ、その語だけで特定の意味を伝えることができます。こうした語のことを、自立語と言います。
これに対して、「は」や「と」、「へ」については、その語だけを用いて何かしらの意味を伝えることはできず、必ず直前の語にくっつく形で使われます。このような語を、付属語と言います。
*以上の「文節」や「自立語/付属語」の定義は、本当は完全に正確なものとは言えません。あくまで方便としての説明になります。
ですので、これら付属語の「は」や「と」、「へ」は、文節の定義における「意味の通じる範囲で分割した」というポイントを満たすことができません。
つまり、付属語は、それ単体では文節を作ることができないということになります。
逆に言えば、
付属語は、その前に来る自立語(あるいは自立語を含むまとまり)にくっつくことで初めて、文節の一部として機能することができる
ということですね。
たとえば例文中の「は」は、直前の「彼女」にくっつくことにより、「彼女は」という一つの文節中の一部分として働くわけです。
そして、一つの文節には、複数の自立語があってはいけないということも覚えておきましょう。
文節は、文を意味の通じる範囲で分割した「最小の単位」であるのですから、それだけで特定の意味を伝えることができる自立語は、複数あってはならないということです。
つまり文節は、
・自立語のみ (例)明日・行く
もしくは、
・自立語 + 付属語( +付属語( +付属語)) (例)彼女は・学校と・塾へ
という形で構成されるわけです。
ということは、結果として、
文節→自立語から次の自立語の直前までの範囲
と説明することができます。
明日彼女は学校と塾へ行く。
という上記の例文の自立語を太字で、付属語を小さな字で表すと、
明日彼女は学校と塾へ行く。
となりますが、「自立語から次の自立語の直前までの範囲」にスラッシュを入れると、
明日/彼女は/学校と/塾へ/行く。
と分割することができます。
このように、スラッシュで区切ったひとつひとつのまとまりが、文節なのです。
なお、ここで多くの方が、
「えー、なんだか面倒くさい説明だな。文節分けって、ネ・サ・ヨで区切っていけばいいんじゃなかったっけ?」
と思われたことでしょう。
例えば、先ほどの例は次のように分けることができます。
明日ネ/彼女はネ/学校とネ/塾へネ/行くヨ。
『自由自在』でも、この「ネ・サ・ヨ」について、次のように解説されています。
例 赤いネ/花がネ/きれいにネ/咲いたネ。
『小学高学年自由自在国語』p.169よりもちろん、小中学生を指導する際には、僕もこうした方法については必ず言及します。日本語母語話者として自らに染み付いた感覚にのっとって判断する、という方法は、とても大切なことですからね。
ただ、この「ネ」「サ」「ヨ」による文節分けは、それだけに頼ると、いろいろと腑(ふ)に落ちない事例に数多く出会ってしまうことになります。
また、あくまで感覚に基づく判断である以上、論理的・体系的な説明へとリンクしていきづらいという側面もあるのです。
したがって、上に書いた観点、すなわち、自立語と付属語という考え方から文節の切れ目を見つける、という方法についても、しっかりと理解しておいていただきたいのです。
とはいえ、この方法も、品詞という概念を一通り学習し終えなければ、本当は正確に活用することができないのですが……。どちらも一長一短で、僕ら指導者を悩ませるところでもあるんですよね。
というわけで、2つの方法を両方とも駆使しながら文節分けに励む。それが現実的な選択ではないかと思われます。
さて、この文節という単位について、もう少し踏み込んだ話をしていきたいと思います。
まず、一文中において、個々の文節は、何らかの文法的な役割を担うということを覚えておきましょう。
例えば、次のような文があったとします。
したがって太宰治、彼は稀有(けう)な才人だ。
自立語は、「したがって」「太宰治」「彼」「稀有な」「才人」ですから、「自立語から次の自立語の直前までの範囲」という定義を踏まえるなら、文節は次のように分けられます。
したがって/太宰治、/彼は/稀有な/才人だ。
そして、個々の文節が一文中において担う役割は、それぞれ下記のようになりますね。
したがって ⇒ 接続語
太宰治 ⇒ 独立語
彼は ⇒ 主語
稀有な ⇒ 修飾語
才人だ ⇒ 述語
本シリーズ「ブンポウってナニソレ、おいしいの?」では、各回に分けて、とくに「主語」「述語」「修飾語」にスポットライトをあてて考察を進めていきたいと考えております。
ただし、その詳細な定義や説明は次回以降に回しますので、今回については、皆さまがお持ちになっている、一般的な「主語」「述語」「修飾語」のイメージをもってお読みいただければ大丈夫です。
ここで、上の例文の後半だけを構造的に見てみましょう。
〈彼は = 主語〉 + 〈稀有な = 修飾語〉 + 〈才人だ = 述語〉。
上記のようになるわけですが、この時、「稀有な」という修飾語と、それが修飾する「才人だ」という文節は、意味的に、一つのまとまりとしてつながっていることがわかりますね?
ということは、この文はこう見ることができるわけです。
〈彼は = 主語〉 + 〈稀有な/才人だ = 述語〉。
つまり、「稀有な」という修飾語と、それが修飾する「才人だ」という文節が、一つのつながりとして文全体の述語を構成しています。
このように、
という点は、ぜひ覚えておいてください。
*なお、「文の成分」とは、主語・述語などの役割を表す概念です。また、この『自由自在』の解説にある通り、連文節が主語などの役割を担うとき、「主語」ではなく「主部」と呼ぶのが原則なのですが、本シリーズでは、基本的には、連文節でも「主語」「述語」「修飾語」などと表記することにします。
では、別の例も見ていきましょう。
庭に植えたひまわりの花が咲いた。
上記の文は、「庭」「植え」「ひまわり」「花」「咲い」が自立語なので、文節分けすると次のようになります。
庭に/植えた/ひまわりの/花が/咲いた。
文節の担う役割という点から捉えると、「咲いた」が述語となります。
では、何が「咲いた」のか。すなわち、「咲いた」という述語の主語は、どれでしょうか?
一文節だけを抜き出すなら、答えは当然「花が」となります。
つまりこの文の構造は次のようになります。
〈花が = 主語〉 + 〈咲いた = 述語〉。
そして他の箇所は、「庭に」が「植えた」を修飾する修飾語で、「庭に/植えた」が「ひまわり」を修飾する修飾語、そして「庭に植えたひまわりの」全体が、「花」を修飾する修飾語として機能しています。
つまり、「庭に植えたひまわりの花が」は、一つのつながりとしてまとまっている。
とすれば、「咲いた」という述語に対する主語は、「庭に植えたひまわりの花が」という連文節として把握されるということになりますよね。
要するに、
〈庭に→植えた→ひまわりの→花が = 連文節としての主語〉 + 〈咲いた = 述語〉。
ということです。
さて、このちょっと中途半端なところで、今回の解説は終了とさせていただきます。
今回の記事では、次回以降へのウォーミングアップも兼ねて、小中学校で学習する国文法、とりわけ「文節」にスポットを当ててきました。
保護者の皆さまも昔学ばれたであろう文節の分け方、思い出していただけましたか?
「小中学校での国語学習が、高校以降や大学受験での国語学習の土台となる!」というテーマは、本シリーズ全体を貫く最も重要なコンセプトであるわけですが、その点については、次回以降の記事をお楽しみください。
ただし、次回以降については、本稿にまとめた内容については最低限ご理解いただいているという前提で進めさせていただきますので、その点、何卒よろしくお願い申し上げます。