【第2回】学生時代・社会人の学びを繋げて、自分にフィットする仕事と出会う。

広報・PRという職業に目覚め、起業に至るまでにどのようなエピソードがあったのでしょうか。

こんにちは。manavi編集部です。

先週に引き続き、『SUZU PR COMPANY』代表の鈴江恵子先生にお話を伺っていきましょう。

前回の記事では、先生の「広報/PRサポート業務」と「カフェ運営」の2つのお仕事について、「広く知ってもらうための3つの要素」についても触れながらお話ししていただきました。

「⼦どもの頃から美味しいものが⼤好き 」であることや、SNSでの発信が「食」に関するお仕事の原動力になっていることも印象的でしたね。

今回は鈴江先生の「学生時代」や、「これまでのお仕事」でのエピソードから、PR・広報のプロフェッショナルとしての現在に活きている学びや経験をテーマにお聞きしていきたいと思います。

それでは鈴江先生、よろしくお願いいたします。

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意外な「広報のお仕事」のはじまり

前回のインタビューで「広く知ってもらうための3つの要素 」をお話しいただきました。その中で、「その商材の業界を知る」ことの重要性が話題に挙がりましたね。

いわゆる「市場調査」や「マーケティングリサーチ」と呼ばれる活動も、鈴江先生の「PR・広報」のお仕事に関わり深いと言えそうです。

第2回最初の質問は、先生がご自身で会社を起ち上げ、PRや広報、そしてマーケティングに携わるようになったきっかけについて、お聞きしましょう。

マーケティングや広報の世界に⼊ったきっかけを教えてください。

前職の『中川政七商店』での業務経験がきっかけです。再⼊社した頃は⽼舗ベンチャーで、まだビジョンもコンセプトもなく、⼀番最初の仕事は、社外の⼈を対象に「〜といえば○○」のアンケート調査でした。

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会社名の「中川政七商店といえば○○」・ブランド名の「遊 中川とは○○」の回答から○○を集計・分析し、⾃分たちの考える○○とのズレを把握したり、ブランドコンセプトや会社ビジョンを導き出したり、今では当たり前となっている「ブランディング」の先駆けの過程に⽴ち会えたことは多くの学びがありました。

またその後、会社が⾃社だけではなく他社のコンサルティングやブランドの⽴ち上げまで活動を広げるようになり、よいものを作っているのにその流通の出⼝がないという課題を持った多くの地⽅の⼯芸メーカーの PR もあわせてサポートしました。

独⽴した現在でも、その頃のつながりで PR をサポートさせていただいたり、運営しているカフェでマグカップや包丁を使わせていただくなどお世話になっています。

広報の世界に⼊ったきっかけは、オンラインショップを⽴ち上げて通販課を作り、SNSも担当していた頃、前任の広報担当者が急遽退職することになり、後任が決まるまでの臨時で担当することになったのがきっかけです。

わからないなりにやってるうちに、⾃分にフィットしていると感じ、通販や秘書業務も兼任し、最終的には希望して広報専任となりました。兼任時代は、仕事のボリュームが多いものの、⾃分の采配でリンクできるのでとてもよい環境でした。

例えば、会社が売り出したいアイテムを、プレスリリースでメディアにアプローチしながら、SNS で紹介し、オンラインでキャンペーンを打ち、メルマガを投げ、代表のスケジュールを調整し取材セッティングをするなど、まだ会社規模が⼩さかったとこもあり、とてもやりがいを感じて複数の業務を担当していました。



はじめから広報のプロフェッショナルを志していたのではなく、所属していた会社とともに成長し、スキルを磨かれてきたのですね!

お話にあったような「ブランディング」 が、マーケティング戦略のひとつとして企業の間に浸透してきたのは、最近のこと。鈴江先生が勤められていた『中川政七商店』においても、新しい試みだったようです。

現在ライフワークとされている広報の業務を、後任が決まるまでの臨時として始めたというのも驚きました。つまり「自分にフィットする仕事に、社会人になってから偶然気がつくこともある」ということ。それまではメジャーではなかったタイプのお仕事であるなら尚更、「学生の間に天職を見つける」ことは難しいのかもしれません。

仕事の内容と同様に、社会に求められる力や、それを得るための学びの方法は日々変化しています。ときには「お父さんお母さん世代の常識」が子どもたちの世代には通用しない…ということも覚えておきたいですよね。

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「伝えるプロ」も、最初は引っ込み思案だった!?

所属していた会社で得た知見を活かしてご自身の会社・カフェを起ち上げた先生ですが、起業にはリスクがつきまといますし、「そのまま会社で広報・PR担当としての立場を確立する」という選択肢もあったように思えます。

何か「独立にこだわる」きかっけとなるエピソードがあるのでしょうか。次の質問はもう少しさかのぼり、社会人になるまでの「学生時代」について伺ってみましょう。

どのような学生時代を過ごされましたか?

⼩学⽣の頃は、厳しく育てられ、我ながらかなり真⾯⽬な優等⽣で、学級委員などに選ばれることもありました。それでいて多くのことに⾃信がなく、今では信じられないほどのひどい引っ込み思案で、正解がわかっていても⼿を挙げて発表することができないような⽣徒でした。

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⼩学⽣〜中学⽣までは算数や数学が得意で理系に進みかけたのですが、実は⾃信がないところもあり、⾼校からは⽂系に転換しました。

⾃分は⽣まれ持った天才タイプではなくて努⼒でできていると⼦ども⼼にも感じていていました。また、通っていた塾の先⽣に、卒業のときに⾔われた「鶏⼝となるも⽜後となるなかれ」という⾔葉がずっと頭から離れず、今でも⼈⽣の岐路に⽴ったとき、いつも頭に浮かんできます

⾼校⽣くらいから両祖⽗ともに商売を成功させていたことや親族も経営者が多かったことから、なとんなく⾃分もサラリーマンではなくいつか⾃分で何かするのではないかというぼんやりしたものはありましたが全く具体的ではありませんでした。

また振り返って気づいたのですが、他⼈のいいものを⼈に広めたいという「勝⼿に PR」の精神はこの頃からあり、おせっかいな性格でした。

⼤学の卒業旅⾏でヨーロッパ4カ国を周り、最もフランスに惹かれていつかまた⾏きたいとは思いましたが、その頃はまさか住むことになるとは想像もしていませんでした。



学生時代から努力家だったのですね。 「引っ込み思案だった」というのは意外です。

商品やサービスの良いところを見つけ出し、それを「伝えるプロ」でいらっしゃる先生が「真面目で優等生だった」というのは想像つきますが、 「引っ込み思案だった」というのはちょっと意外でした。

そんな先生が独立して自分の会社を持つようになった一因には、「鶏⼝となるも⽜後となるなかれ」という言葉に出会ったことや、身のまわりに経営者が多い環境だったこともありそうです。

演出家・脚本家の小金丸先生のインタビューでもありましたが改めて、様々な学びや経験、他人との出会いを通じて、自分自身を変えていくことの重要性を感じますね。

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ひとつのことを継続して学んだこと、色々チャレンジして学んだこと

勤めていた会社で、現在のお仕事の礎となるノウハウを学ばれた先生。サラリーマンとして会社に勤め、業務をこなしながら、自分の目標へ向けた勉強も続けるというのは、なかなかハードルが高そうにも思えます。

第2回最後の質問は、鈴江先生の「勉強」に関する経験やエピソードについて、お聞きしたいと思います。

今役に⽴っている、学⽣時代の「勉強にまつわるエピソード」や「勉強法」などありましたら教えてください。

幼少期から親に⾔われるがままに 365 ⽇毎⽇⽋かさず⽇記を書いたり、ピアノ・書道などの習い事を 10 年以上続けていることが当たり前だと思っていましたが、⼤学⽣〜社会⼈になってからは、ひとつのことを継続するよりも、様々なことをチャレンジするようになり性格も社交的に変わってきました。

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⼩学校⾼学年では受験の為に今の時代だと訴えられそうなスパルタ塾に2年間通いました。そこでは勉強だけではなく、挨拶、喋り⽅、靴の脱ぎ⽅、⼿の挙げ⽅、⾵呂敷の結び⽅などなど所作についても厳しく指導され、⾝につきました。その頃に緊張の中で覚えた暗記法は多くを今でも記憶しています。

勉強法は、あまりおすすめはできませんが、中⾼⽣時代は定期テスト前の数⽇間、図書館に通い集中して勉強し、前⽇は⼣⽅に寝たあと徹夜で追い込み、ゲーム感覚のように楽しんでいた記憶があります。そんな感じなので範囲のない実⼒テストはちょっと苦⼿でしたが、記憶⼒と集中⼒は養われたように思います。

部活は吹奏楽部に所属してフルートを担当していましたが、⻑年の習い事のようにはうまくいかず途中で辞めてしまいました。そのことはしばらくの間、⾃分の中では屈辱でもありました。

⼤学は指定校推薦で合格し、実家を出て⼀⼈暮らしをしながら商学部で流通経済を研究する教授のゼミに所属していました。社会は⼤きく変化しましたが、⼤学時代にゼミや講義で学んだ基本の知識は、今の仕事にも繋がっていると感じます。

またプライベートでは空き時間に飲⾷店を中⼼に様々なアルバイトで社会勉強をし、その頃から国内外の旅⾏や美味しいものを⾷べることが趣味でした。



辛い経験で「学ばされた」ことも、 自ら「積極的に学んだ」ことも、今の先生を支えているのですね。

お話の中にあった、「様々なことへチャレンジする経験」が先生を独立・起業へと突き動かしたように感じました。

幅広い分野、場所、人に興味を持って経験を重ねていくうちに「もっと知りたい」という欲求や「これはよく知ってる」という自信が生まれるものです。とりわけ大学生~社会人になってからの先生の学びは、今のお仕事にも直接繋がるような、主体的で深いものだったことがうかがえます。

また、小学生~高校生時代にテスト勉強で養った「記憶⼒」や「集中⼒」や、部活動で味わった「上手くいかない悔しさ」も先生の中で確かに息づいているようです。

人生への影響の大小や、役立つ場面の違いこそあれ、「学生時代の学びは一生もの」というのが伝わるお話だったと思います。

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学びのヒント

鈴江先生、ありがとうございました。

今回のインタビューから、以下のような学びのヒントが得られたと思います。

ヒント

・様々なことにチャレンジして、自分にフィットするものを見つけよう

「おしゃれなケーキが好きだから、ケーキ屋さんになりたい!」「 憧れのクリスティアーノ・ロナウドみたいなサッカー選手を目指す!」といった”好き”や”憧れ”に関する夢を抱くお子様は多いと思います。

メディアに取り上げられるような、職業の華やかな一面はお子様の目にも届きやすい一方、職種や業界の表面的な部分しか見えにくいものかもしれません。

鈴江先生はPRや広報の業務を通して、ご自身の愛する「食」に携わっておられます。同様に、お子様の”好き”や”憧れ”を「支えるお仕事もある」ということを、お子様自身はもちろん、保護者の皆様にも知っていただき、既存の職業観や一般常識に捕らわれない「お子様にフィットする生き方」を親子で探していただければ、と思います。

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manaviおすすめの本

今回の記事に関連した、おすすめの書籍をご紹介させていただきます。

関連書籍

100%丸暗記 白地図&用語

★本文にはゆかいなマンガとゴロ合わせの「イラゴロ暗記」があり,重要語を楽しく覚えられるようにしています。

★教科書の内容はもちろん,発展的な内容も掲載しています。「入試サポート」「プラスα」をはじめ,「論述問題」「三択問題」を設け,日常学習だけでなく,中学入試対策もバッチリです。

★赤刷りの重要な地名や産物・用語に消えるフィルターをのせれば,文字が消え,空欄補充問題に早変わり。答え合わせはフィルターをはずすだけ。覚えられるまで何度でもチェックできます。

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先週に引き続き、社会科の参考書である『100%丸暗記 白地図&用語』をおすすめさせていただきました。

今回のインタビューで鈴江先生もおっしゃっていたように、暗記の勉強法に頼り過ぎてしまうと、「範囲のない実力テスト」や、近年注目されている「正解のない問題」に苦労してしまうかもしれません。一方で「記憶力」や「集中力」が養われ、こうした素養が社会で求められる機会も少なくないと思います。

また、コミュニケーションの際に、「必要な知識をとっさに思い出して話題にすることができる力」というのも、相手との信頼関係を築く上で重要であると感じます。

お子様ひとりで黙々と覚えるのも良いですが、親子で「問題の出し合い」「早押しクイズ」のような勉強法も、楽しめながら学べそうです。本書が「暗記を楽しむ」サポートになってくだされば幸いです。

今回の賢者

鈴江 恵子

高知県生まれ。
フランスに5年間滞在後、中川政七商店で社内広報を努める。
2015年に独立しSUZU PR COMPANYを設立。幅広い分野のクライアントのPRをサポートしながら、2021年にPRと食を絡めた”ちょっとよそゆきの朝ごはん”を提供するカフェ「プルミエメ」をオープン。これまでにないPRの手法を模索している。

鈴江先生の詳しい情報はこちらから

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