なぜ「正解のない問題」が今、話題になっているのか?

正解のない問題にどうやって答えたらいいのでしょうか?


こんにちは。NEXT LEARNING Labsの主任研究員の岡田です。


最近は、いろいろ教育改革について耳にすることが多くなりましたね。


英語の民間試験の共通テストへの導入の延期や記述式問題の導入見送りなどは特に大きな話題となっています。


これらについても、稿を改めて報告させていただきたいと考えています。


今回のTOPICSでは、日々変わる情報を追うというよりも、教育の本質的なところから論じてみたいと思います。


取り上げるのは「正解のない問題」 あるいは「答えのない問い」 についてです。


以前に賢者のインタビューのコーナーにて認知脳科学の嶋田先生にお話を伺った際に、まさに話題に挙がったキーワードなのですが、今回はより深堀りしてお話させていただければと思います。



普通、テストや評価では、「発問者」と「受験者」がいますよね。


ペーパーテストであってもその問題を作成した「出題者=発問者」がいます。それに答えるのが受験生の役割です。


社会人であっても、面接やいろいろな質疑応答の場面はあります。その際も、このような構図が成立しています。


ですので、通常は、発問者には何かを試したいという意図があり、そのためには何らかの評価があります。ですから、評価の基準に照らして「正解」「不正解」というものが最初からあるのだ、と私たちは思います。


その発想からすると、「正解がない」「答えがない」と言われると、『そもそも、何を問われているの?』と不思議な気持ちになりますよね?


では、なぜ「正解のない問題」が話題になるのでしょうか。

次の2つの問題を見てください。


例題

上の問題は、日本でもトップレベルの大学の入試問題(世界史)からの抜粋です。一方で、下の問題は国際バカロレアで扱われた問題です。


テスト・受験のイラスト「試験中の男子学生」

一概にどちらが良いという話ではありません。テストというのは、「どんな力を測定したいのか」ということによって問題の出題形式や採点基準は変わります。


では、それぞれ、どのような力を測ろうとしているのでしょうか。


上の問題は、「知識が正確に覚えられているか」を測定するテストです。事実は一つしかありませんから、正解も一つです。ですので、簡単に選択肢問題にできます。


このタイプの問題の難易度は、知識の「身近さ」の軸で成立します。


つまり、誰でも知っているような「教科書に重要事項として掲載されている事項」が「易しい問題」として、あまり知られていないけれどもその分野では役に立つ「専門的な事項」を「難しい問題」とします。日常生活では滅多に出会わない知識でも、入試に出るならば理解し、暗記しようとします。


一方で、下の問題は正確な知識を持っていないと解答できないという点では、上の問題と変わりません。


知識だけではなく、理解・解釈・判断というものが求められるのです。しかも、「どの程度まで」という、定量的ではない定性的な評価基準を自分で考えて提出しなければならないのです。


受験生によってさまざまな答えが出てくるでしょう。もしかしたら、全く逆の解答も出てくることがあり得ます。

では、このような問題は採点できないのでしょうか?


実際に、大学のレポートや論文では、様々な論が出てきますが、それに対して評価がなされています。ところが、日本の独特の入試文化では「公平性」ばかりが追及されて、大学のレポートのような評価はあまり歓迎されません。この点については別に論じる予定です。


さて、「答えのない問い」「正解のない問題」に戻りましょう。


整理すると、「正解のない問題」は、「解が一意に決まらない」=「複数の正解がある」と誤解されることもありますが、それはちがいます。


正解のない問題というのは、正解を「発問者が予め決める」のではなく、「受験者が答えをつくりあげた」答案を、その妥当性や信憑性によって評価するということです。


発問者は課題を提示しますが、それへの回答は受験者がつくりあげます。発問者は、それを審議するのです。


これは、普段、私たち大人が会社でしている「プレゼンテーション」や「企画・提案」に近いですよね。


パソコンを使ったプレゼンのイラスト(女性)

たとえば、新製品企画のプレゼンテーション。どんな企画が正解なのか、どんなプレゼンが正解なのか、事前にわかっているなら、企画する必要もプレゼンをする必要もありません。


企画書ではなく「指示書(こういう商品をつくれ)」、プレゼンテーションではなく「指示(こういう工程でつくれ)」で終わります。


つまり、工場などで一旦工程が確定していて、労働者に「正しい手順」を「的確に実施する」ことを望むような社会・業務では「正解」がありました。


しかし、様々な情報がとびかい、ビジネスをつくりあげていくこと、市場をつくるということが求められる社会では、試行錯誤の上、自分たちなりの成果をつくりださなければならない時、「正解」は創るしかないのです。


最近、「合意形成」という言葉が注目されています。社会を見渡してみて、この合意形成ができないがための不幸な事柄というのは多々あります。


際たるものは、戦争です。それぞれの国が主義・主張があります。つまり、自分たちは「正義」だと思っていますし、その行為は正当なもの(「正解」)と思っています。文化・歴史・風習・政治的利益が噛み合わないため、このように最悪の事態に陥ることがあります。


このような場合、数学の問題を解くようには解決はできません。解決するには、合意を当事者同士でつくりあげる必要があります。


つまり、解答をつくりあげる必要があるのです。


予め正解があれば、世の中の争い事は激減するでしょう。合意形成という社会的なスキルは、まさにその都度、自分たちの手で答えをつくりだすことに他なりません。

ここまで大きな話ではなくとも、答えのない問いによって浮き彫りになる事柄があります。それは、「人柄」「価値観」「視野」です。


某大手企業で、入社面接の時に次のような問いをした、ということを聞いたことがあります。


質問

あなたは、いつも通り、通勤のために家の最寄駅に到着しました。ところが定期券を忘れてしまっていることに気づきました。あなたならどうしますか?


人生が決まるかもしれない大切な入社面接であれば、「正解が欲しい!知りたい!」と思いたくなるはずです。


考えるといろいろな答えが考えられますよね。


・(A)定期券を取りに家に戻る。
・(B)その日だけ切符を買って通勤する。


ということは簡単に思い浮かびますよね。


 ただ、(A)をするにしても、


・上司にまず連絡をする。
・家に戻る時間短縮にタクシーを使う。


など、附帯事項も考えだすと、いろいろバリエーションが出てきそうです。


ここで面接官(発問者)が評価したいのは、何でしょうか?


何を重視するかは、その発問者の個性もあるのでしょうが、答えによって「人柄」「価値観」「経済観念」などが分かりますね。


例えば、「上司に連絡せず、タクシーで自宅に戻ることで、就業時刻に間に合わせます」と答えたとします。ここから、いろいろなことが読み取れます。(これも「正解のない問題」です。考えてみてください。)

スマートフォンが普及し、「知識」を調べることが簡単に行えるようになりました。最初に提示した大学入試問題。上の問題は、調べれば正解は出ます。


しかし、下の問題(バカロレアの問題)はいくら調べても、「他人の意見」はあるかもしれませんが、「自分の意見」は当然見つかりません。


そういう時代の中で、「正解のない問題」の重要性はますます増していくでしょう。