発達段階で抽象的操作という力がうまく身につかないことに起因しています。
「数学が苦手なので、文系に進みます。」
これはよく進路決定の際に学生が発言する内容として、多少のニュアンス・表現に違いはあっても、よく聞かれるフレーズです。
本来、苦手科目が無い方が進路の選択肢は増えて、良いはずです。しかし、「国語嫌い」や「理科嫌い」よりも、「数学嫌い」の方が根深く、影響力が大きいにように思います。それは何故なのでしょうか?
まず、数学という教科の特性から見ていきましょう。
数学はありとあらゆる学問領域と深く関わっています。これは数学が抽象的であることも関係しており、抽象的であるものの式としてしっかりしたフォーマットにできる点で汎用性が非常に高いのです。
例えば、物理学でも数式は出てきます。また社会構造に関わる経済学や心理統計などでは数式を扱います。ですから、安易に「文系に行ったら数学を扱わなくて済む」わけではありません。
大学では「シラバス」をインターネット上で公開していることがあります。例えば、実際に大阪大学の法学部では次のようなシラバスを公開しており、その中に「社会科学のための数学」という授業があることがわかります。
数学が苦手だと大学進学後も苦しむ場合があるということはわかったとして、そもそもなぜ数学嫌いが多いのでしょうか?
それは数学(小学校高学年以降の算数でも)では、「数」から「量」を扱うようになるからです。
数は「(指をつかって)数える」ことができます。量は「計る」ことによって理解されるものです。英語でもmanyは数えることに使い、muchは計るものに使います。例えば、お金は、コインや紙幣を「一つ、二つ・・・」と数えることはできますが、実際に金額を計算する場合には「百円玉が10枚」と「千円札が1枚」では価値は同じです。幼児がお年玉をもらう時に、千円札1枚よりも百円玉10枚の方を喜ぶのは、数の概念はあっても量の概念がない場合です。
算数の足し算・引き算は、おはじきで再現することができ、指差し確認しながら数えることができます。掛け算も同様にできます。割り算もおはじきで再現することがある程度はできるのですが、小数・分数が出てくる辺りで急に「量」の問題が出てきます。
さらに中学校に進学すると、変数を扱います。xとかyです。具体的な「3」とか「1.6」とい数字であればイメージしやすい(数直線上に表しやすい)のですが、xとかになると「関係性」という抽象的な事柄が重要視されます。変数の数値が分からないまま数式を操作していく力が必要なのです。このような力を「抽象的操作」と呼びます。
数学が苦手な場合、実際の数を扱ってシミュレーションできる具体的操作から、関係性に注目する抽象的操作へと移行する際に躓いている場合が多いのです。
これが思春期前後に起こる「9歳の壁」(「10歳の壁」とも)と言われるものです。
このような話を聞くと、「では、早めに抽象的操作を練習させないと!」と思う方もおられるのですが、研究者の定説では、「それまでにしっかりと十分な具体的操作の練習をしていないと、抽象的操作へ移行できない」と言われています。
つまり、慌てずに子どもの発達段階に合わせて、低学年の間にはおはじきや具体物を使って「体験」をさせることが重要で、その経験値が高いと、実際に抽象的操作の段階に入った時も躓きは減るのです。早期学習の危険性を論じる人が多いのも、このような考えが根拠になっているのですね。
学習目標は大事ですが、目の前の学習を充実させることが何より重要です。
大学入試のためや就職のためだけではなく、中学校・高校での普段目の前にある学習については逃げることなくしっかりと学習するという姿勢こそが大事ですし、この姿勢があれば大人になってからでも新しい仕事に就いた時にも新たに学び成長できる人材になるのだと思います。