こんにちは。増進堂・受験研究社、編集部の永峰です。
前回の記事で、中学生の夏休みという多忙な時間の中でも、少しでも家庭学習の時間をということで、「ミニ読書」というアプローチをご紹介させていただきました。
前回の記事はこちらからチェックしてみてください。
増進堂・受験研究社130周年に際して、教育現場や学びの第一線で活躍する有識者の方々からお祝いのコメントをいただいたのですが、その中にも『自由自在』シリーズを暇なときにパラパラとめくって眺めているだけでも勉強になったという声がありました。
もちろんパラパラとページをめくって気になったところを読んでいただくだけも良いのですが、ある程度方針を示してもらった方が読みやすいというお子様もいらっしゃるかもしれません。
そこで、今回も『中学 自由自在 国語』を使った「ミニ読書」の実践例を皆さんにお伝えさせていただこうと思います。
今回の記事では、次のような「読み方」を提案させていただきます。
それはズバリ、
例題や問題文として扱われている文章の設問で問われていない箇所を熟読して表現の面白さを味わってみよう!
です。
長文読解で扱われる文章の題材は、どうしても設問を解くために読むので、設問に関係ないところはあまり深く読み込まないことが多いですよね。
では、「ミニ読書」では、あえてその逆をやってみませんか?
「設問を解くための読解」ではなく、「ミニ読書」では「味わう読解」をしてみようということで、今回の記事では、「随筆文」を例として取り上げて、具体的な「ミニ読書」の実践例を皆さんにお伝えできればと思います。
『中学 自由自在 国語』では、随筆文の定義を「筆者が見聞きしたことや体験・経験・感想などを自由に記した文章」としています。
随筆文は,「筆者自身のものの見方や考え方」が色濃く反映される傾向があり、自由で豊かな表現に裏打ちされたものが多いのです。
こうした随筆文にテストなどで触れる場合は、どうしてもその主題を読み解くことが命題になります。いわゆる「筆者の考え」にあたる部分ですね。
しかし、自分の読書の範疇であれば、必ずしもそうした読み方にこだわる必要はありません。
むしろ、そこに綴られた豊かで自由な表現を純粋に味わうような読み方にも、時間をかけられる夏休みだからこそ挑戦していただきたいのです。
ここでは、『中学 自由自在 国語』にも掲載されている随筆文の一節を例として引用しつつ、その表現の味わい深さを皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
瞼を閉じ、夜気を深く吸い込んだ。
「……。」
胸の奥が冷えて、肺の在りかをはっきりと感じた。次の瞬間、私は甘美な香りにふっくらと包み込まれた。
目を開くと、通りの向こうに大きな木が見えた。いつも前を素通りしてきた木だった。見上げると、矢のように細い枝が空に向かってツンと伸び、その枝々に、夜目にも白いものがぼんやりと見えた。
梅だ……。梅が咲いている。
ハッとした。
これが梅の香りというものか……!
今まで、梅の香りを詠った歌や文章をどれほど読んできただろう。自分でも、手紙の中で幾度となく、「梅の香る頃となりました。」と書いてきた。
なのに、知らなかった。この寒さの中でいじらしく咲く小さな花が、これほど甘くかぐわしく、あたり一帯を包み込むとは……。
その時から、梅は私の人生の内側で咲くようになった。人は心で受け入れて初めて、本当の色や香りに触れる。
(中学 自由自在 pp.89-90 森下典子「こいしいたべもの」より引用)
『中学 自由自在 国語』内に設定された設問では、水色で着色した箇所に注目して、その意味が問われています。
しかし、今回の「ミニ読書」ではあえてそれ以外の部分に焦点を当ててみましょう!
ということで、上記にグレーで着色した箇所をもう1度読み直してみてください。
さて、上記の文章でグレーに着色した箇所ですが、これって簡潔に説明しようとすると、一言で済みそうな気もしませんか?
ぜひ、みなさんも挑戦してみて欲しいのですが、私ならこうまとめます。
「甘い香りに誘われて見上げてみると、梅の花が咲いていることに気づいた。」
状況説明としては十分ですよね。
ただ、この1文を読んで、「筆者の体験」が伝わってくるかと聞かれると、疑問符がつきます。
それは、すごく客観視したような文章に見えるからではないでしょうか。
随筆文は、先ほども挙げたように「筆者が見聞きしたことや体験・経験・感想など」をつづった文章であり、上記に引用した一節は「体験」に焦点を当てています。
そうなると、筆者としてはいかにして読んでいる私たちに「自分の体験を生き生きと共有できるか?」もっと言うなれば「自分の体験を、文章を通じて追体験させられるか?」が腕の見せ所になってくるでしょう。
そして、それを実現するのが「言葉の表現」です。
ここからはそんな「言葉の表現」に注目して、その面白さや豊かさを皆さんと共有できたらと思います。
(A) 筆者の「目の動き」を追ってみよう!
グレーに着色した部分は要約すると、「甘い香りに誘われて見上げてみると、梅の花が咲いていることに気づいた。」のようにまとめられると先ほどお話しました。
しかし、筆者は梅の花に気がつくまでのプロセスを、いくつかのステップを踏んで表現しています。
そこで筆者の「目の動き」に注目してもう1度読み直してみましょう。
じっくりと読み込むと、筆者が「梅」に気がつくまでの「目の動き」を実に丁寧に描写していることが分かります。
少し整理してみたのでご覧ください。
(1)甘美な香りに包まれ、目を開くと、通りの大きな木が視界に入る
(2)見上げると、木の矢のように細い枝が見えた
(3)枝を追っていくと、その先にぼんやりと「白いもの」が見えた
(4)その「白いもの」に焦点が合い、それが梅の花だと気づく
甘い香りに気がついて目を開くと大きな木が視界に入り、視線を上げてその枝をなぞるように視線を移動させていくと、枝先にぼんやりと「白いもの」が見える。そこで、カメラのピントを合わせるように、焦点を合わすと、それが「梅」だったと分かる。
梅の木をイメージしながら、(1)~(4)の「目の動き」を実演してみるのも良いと思います!
実際にやってみると分かりますが、筆者の「目の動き」が文章を読むだけで鮮明にイメージできますよね。
では、なぜ筆者は「梅の花に気づいた」というだけのことを、ここまで「目の動き」を詳細に描写して表現したのでしょうか?少し考えてみましょう。
ここで思い出したいのが、随筆文は「筆者が見聞きしたことや体験・経験・感想などを自由に記した文章」だということです。
つまり、いかにしてその「体験」を読み手に臨場感をもって追体験してもらえるかが、随筆文においては重要なカギになるのです。
この随筆文では、「筆者の視線の動き」を丁寧に表現することで、筆者の視点と読み手の視点がシンクロするように演出しています。
文章を読みながら、筆者の見た光景がぼんやりとイメージできるようになっているのです。
随筆文における「体験」や「経験」についての記述は、この作品のように豊かな言語表現で綴られていることが多いです。
ですので、そうした「体験」や「経験」を表現するために「筆者がどんな言葉を使っているのか?」また、「読み手にどんなイメージをさせているのか?」を考えながら読んでみると、味わい深さが増すと思います。
(B)「気づく」という動作の間接的・感覚的な表現に注目しよう!
再度、私の要約文を引用させていただきます。
「甘い香りに誘われて見上げてみると、梅の花が咲いていることに気づいた。」
皆さんはグレーの部分を短く要約する際に「気づく」という表現を使いませんでしたか?
おそらく使ったんじゃないかな?と思うのですが、よくよく読み直してみると、実はこの筆者は「気づく」という言葉を1度も使っていないのです。確認してみてください。
では、「気づく」という言葉が使われていないのに、なぜ読み手である私たちは「気づき」が描かれていることが分かったのでしょうか。
そこに、筆者のかけた「言葉の魔法」が存在します!
では、「気づく」という言葉を辞書で調べてみましょう。
「それまで気にとめていなかったところに注意が向いて、物事の存在や状態を知る」
なるほど。ここで注目したいのは「それまで気にとめていなかったところ」です。
つまり、「『いつも』であれば注意を払わない、意識しないことを知覚する」、これが「気づく」なのです。
では、筆者は「気づく」「気づいた」といった直接的な表現の代わりにどんな表現を用いているのでしょうか。
「気づく」にあたる部分をもう1度読み直して、探してみましょう。
じっくりと読み直していくと、次のような表現が使われていることが分かります。
・胸の奥が冷えて、肺の在りかをはっきりと感じた。
・いつも前を素通りしてきた木だった。見上げると、……
まずは、1つ目について考えてみましょう!
私たちは当たり前のように呼吸をして生きていますよね。では、「ああ、私の肺が今まさに酸素を取り込んでいる…」なんて考えることはありますか?
これは、おそらく私も含めて、多くの人にはない経験だと思います。
そのため、「肺の在りかを意識する」という感覚が、「いつも」との違いを強調する間接的な表現として機能していることが分かりますよね。
次に、2つ目について考えてみましょう!
こちらはもう少し直接的ですね。「いつも前を素通りしてきた木」を筆者は素通りせずに、「見上げ」ました。これも明確に「いつも」との違いを強調しています。
このように「気づく」という行為をダイレクトに言語化するのではなく、筆者は「いつもとの違い」を自分の感覚や動作の中に散りばめることによって間接的に表現しているのです。
「私は梅の花の甘い香りに気づいた」と事実だけを簡素に表現すると、どうしても読み手は客観的な視点で距離を置いて読み進めてしまいます。
しかし、「胸の奥が冷えて、肺の在りかをはっきりと感じた。」と感覚的な描写へと置き換えることで、読み手は疑似的とはいえ「主観的に」その感覚を味わい、「気づき」を追体験することができます。
このように随筆文では、端的でかつ直接的な動作を表す言葉で片づけられる描写を、間接的に表現したり、感覚的に描写したりしていることがあります。 こうした言語表現の「奥ゆかしさ」のようなものを「ミニ読書」の中で味わってみるのもおすすめです。
今回引用した随筆文を用いた設問では、「筆者の得た気づき」そのものに焦点が当たり、文章の主題に迫ることが意図されています。
ただ、設問では問われていない「筆者が気づきに至るプロセス」に目を向けてみると、そこには「言葉の魔法」ともいえる実に豊かな表現が隠されていることが分かります。
こうした設問に縛られない「言語表現の面白さ」に触れるような読み方にも、夏休みだからこそ挑戦していただきたいです!
夏休みの読書では、「何冊読んだか」が評価軸になることも多いですが、あえて1冊のこうした細部の表現までじっくりと読み込んでみるという鑑賞方法もおすすめしたいと思っています。
気軽に始めたい場合は、今回ご紹介したように『中学 自由自在 国語』のような参考書や夏休みに宿題として配られたワークやドリルなどで扱われている文章を題材にして「ミニ読書」をしてみるのでもOKです。
一般的な読書だとついつい自分の好きなジャンルや似たようなテーマの本を選びがちですが、『自由自在』のミニ読書なら、様々なジャンル・テーマ・形式の作品に触れることができるのがメリットですね。
また、前後の文脈がなくても、少ない情報の中で過不足なく読解する(≒味わいつくす)力が身につくのも後々活きてくると思いますよ。
そして、もし時間があれば、保護者の方も同じ作品を読んでみて、「私はこの本のここの表現がグッときた!」といった意見をぶつけ合ってみてください。
自分の感覚や考えを言語化するのも、とても大切なことです。
「読む」ことの純粋な面白さに触れる体験を、ぜひこの夏休みにしていただけたらと思います。