こんにちは。増進堂・受験研究社、編集部の永峰です。
当サイトにて国語の参考書を活用した「ミニ読書」の実践例を既に2つの記事でご紹介させていただいたのですが、こちらは読んでいただけましたでしょうか。
もし、まだの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一読ください。
改めて簡単にご説明しますと、「ミニ読書」は参考書をスキマ時間に読んでみようという取り組みです。詳しくは公式サイトの「自由自在ナビ」のページでご紹介していますので、こちらをチェックしてみてください。
国語の「ミニ読書」は、「問題を解くのではなく、例題や問題文に出てくる小説や随筆、論説文の本文を気軽に読んでみる」というものになります。
しかし、とにかく読んでみるとは言っても、「どんな読み方をすれば良いんだろ…。」と逆に難しく考えてしまうこともあるかもしれません。
ですので、今回の記事では、私の方から次のような「読み方」を提案させていただきます。
それはズバリ、
「場所」や「時代」など、物語のバックグラウンドをしっかりと掴もう!
です。
物語文や小説文では、過去や未来といった「時代」,日本,外国ないし架空の国や街といった「場所」を作者が独自に設定することができます。
それは言い換えると、何らかの意図を持って作者が「時代」や「場所」を設定しているということにもなりますね。
物語文や小説文を題材にした読解問題、登場人物の行動や心情にスポットが当たりがちです。
しかし、「ミニ読書」ではあえて、そうした行動や心情の背後に広がる物語のバックグラウンドに注目してみませんか。
問題を解くことから自由になって読み進めていくと、思いがけず物語の背景に興味・関心が湧いて、調べてみようかなという気持ちが広がることもあるかもしれません。
今回は、ある物語文の一節を取り上げて、具体的な「ミニ読書」の実践例を皆さんにお伝えできればと思います。
物語文は事実と虚構が織り交ぜられてこそいますが、基本的に作者が創作した「世界」の中で繰り広げられる出来事を描写しています。
つまり、そこに綴られている全ての描写に、作者の何らかの意図があると踏んで、1つ1つ丁寧に読み込んでいくことが、より深く物語を味わうことにもつながっていくのですね。
では、『小学高学年 自由自在 国語』p.332に掲載されている長田弘さんの物語文『鳥』を題材にして、そうした読み方にチャレンジしてみましょう。
「わたし」は、修学旅行に行く際に飼っている鶸(すずめのなかまの小鳥)のエサまわりの世話を母に頼みました。しかし、母はエサを与え過ぎ、「わたし」が帰ってきた時には、鶸は倒れて死んでしまっていました。
次に引用したのは、それに続く一節です。
昭和の戦争の時代に幼年を経験したわたしには、死は飢えのイメージにしかつながらなかった。食べすぎて死ぬことがありうるとかんがえることは、どうにか飢えた幼年をぬけだしたばかりの少年にとって、あまりにも唐突だった。わたしは母をなじったが、母は善意の人だった。飢えの時代を生きのびた人である母の善意が、一羽の小鳥を苦しませて死なせたのだ。
(『小学高学年 自由自在 国語』p.332より引用 長田弘『鳥』より引用)
この一節で、世界観をより深く知るために注目していただきたいのが「戦争の時代」という言葉です。
お子様世代、保護者世代、保護者のお母様、お父様の世代。
それぞれの世代で「戦争」と聞いて、パッと頭に浮かべる戦争は異なるんじゃないでしょうか?
中学校の歴史の教科書で扱われている過去100年の日本が関わった、影響を受けた戦争を年表にまとめると以下のようになります。
この記事を執筆している私自身は、2001年の同時多発テロ事件のインパクトが大きく、それに続く2003年に始まった「イラク戦争」がパッと浮かびました。
保護者の皆さんの世代ですと、「ベトナム戦争」が浮かぶかもしれませんし、そのさらに上の世代になると、「太平洋戦争」や「朝鮮戦争」ということになるでしょうか。
話を先ほどの文章に戻しますが、もう少し紐解くと、「戦争の時代」は、「昭和の」という言葉に修飾されていることが分かります。
さらにこの「昭和の戦争の時代」という言葉が、後に登場する「飢えの時代」と同じ時代を指していることも見えてきますね。
では、母が生き抜いた「飢えの時代」にも重なる、わたしが幼年を経験した「昭和の戦争の時代」という表現における「戦争」とは、どの戦争を指しているのでしょうか。
お子様には、名探偵になっていただいて、ぜひこの謎を解いてもらいましょう!
調べる際には、次の3つのヒントを参考にしてみてください。
(1)日本特有の元号である「昭和」
(2)作者である長田弘さんのバックグラウンド
(3)飢えの時代
上記のポイントを踏まえて、インターネットや書籍などを駆使した調べ学習に取り組み、物語の世界観(時代設定)を明らかにしてみましょう。
より具体的なイメージを掴むために、資料館を訪れたり、映像作品を見たりするのも良いかもしれません。
『鳥』の一節に登場した「戦争」という言葉は一体どの戦争を指しているのでしょうか?
お子様はこの「謎」を解くことができましたか?
ここからは、答え合わせも兼ねて、簡単に解説をさせていただこうと思います。
まず、最初のヒントでもあった、日本特有の元号である「昭和」に注目すると、「戦争」の起きた時期を「1926年12月25日から1989年1月7日」の間に絞り込むことができます。
加えて、日本特有の元号を使っていることから、日本が密接に関わっていた戦争であるという推測も可能ですね。
・日中戦争
・太平洋戦争(第2次世界大戦)
・朝鮮戦争
・ベトナム戦争
上記のような戦争が、この時期に起きていて、日本が何らかの形で関わったり、影響を受けたりしたものとして挙げられます。
そして、次に2つ目のヒントとして提示していた「作者である長田弘さんのバックグラウンド」に注目してみましょう。
「自伝的小説」なんて言葉もありますが、小説や物語文には、作者自身のバックグラウンドが反映されていることがあります。そのため、これは非常に重要な視点です。
調べてみると、長田さんは、1939年11月10日に福島県福島市に生まれたとされています。
では、この物語における「わたし」に長田さん自身のバックグラウンドが投影されていたと仮定すると、彼が幼少期を過ごした時代に該当する戦争はどれになるでしょうか。
それはもちろん、1941年に始まった太平洋戦争ということになります。
なるほど。そうなると「この一節における『戦争』は太平洋戦争なんじゃないか?」という仮説が立てられますね。
では、その仮説を裏付けるために、太平洋戦争期の日本が3つ目のヒントでもある「飢えの時代」だったのかを検証していきましょう。
これについては、「社会科(歴史)の授業で習ったから知ってる!」というお子様も多いと思います。(お子様が忘れている場合は、この機会にじっくりと調べてみるようアドバイスしてあげてください。)
「ほしがりません勝つまでは」なんてスローガンの存在にも代表されるように、太平洋戦争下の日本が深刻な食料不足だったことは明らかです。
保護者の皆様は、「昭和の戦争の時代」と聞いた時点で、反射的に「太平洋戦争のことでしょ?」と何となくの当たりがついたかもしれません。
しかし、お子様が、必ずしも保護者世代ないし保護者のお母様、お父様の世代と同じようなイメージを持っているとは限りません。
ですので、保護者の皆さんにとっては「当たり前」であったとしても、お子様には問いかけてみる価値があります。
今回のように小説や物語文などでは、現代とは異なる時代設定のものを読み込む際に、その時代のイメージを明確に持つことが大切です。
ここまで、長田弘さんの『鳥』という物語文を題材にしつつ、物語や小説文などを読む際にも役立つ読み方をご紹介させていただきました。
物語文や小説文は、記事の冒頭にも書きましたが、過去や未来、外国、架空の国や街といった「場所」や「時代」を作者が独自に設定できるのが特徴です。
そのため、まずは作者の用意した世界観や設定をしっかりと掴むことが重要であり、それが物語の展開や登場人物の心情を読み解く上でも非常に役立ちます。
先ほど紹介した長田弘さんの『鳥』の一節においても、「昭和の戦争の時代」つまり太平洋戦争の時代の日本の状況を念頭に置いて読むかどうかで、「わたし」と「母」の考え方や心情、行動の見え方が変わってきませんか?
もちろんテストや試験でここまでじっくりと掘り下げて考える時間はありませんし、今回の題材に関しても、「戦争」がどの戦争を指しているのかは分からなくても、問題を解く上で支障はありません。
単に「わたし」やその母が戦争中の食糧難の時代を生きていたという理解でも、文章の主題そのものの理解にブレは出ないはずです。
ただ、「いつかのどこかの戦争中の食糧難の時代」というイメージで読むよりも「太平洋戦争下の日本の庶民の厳しい食糧事情」をイメージして読むと、物語の深みや奥行きが変わってきます。
今回扱った『鳥』についても、戦時中の日本の厳しい食糧事情をイメージしながら読むことで、母がついつい鶸にエサをたくさんあげたくなる親心のような気持ちが、より鮮明にかつリアルに理解できるのではないでしょうか。
このように、ぜひ「ミニ読書」においては、物語が展開されている「場所」や「時代」の設定を、調べ学習も交えながら掘り下げていただきたいですね。
外国が舞台の作品であれば、その国の文化や習慣が関係してくるかもしれませんし、仮に江戸時代が舞台の作品であれば、当時の社会について知っておく必要があるかもしれません。
ぜひ、「何が起きたか?」や「登場人物がどう感じたか?」を淡々と追っていくだけでなく、物語のバックグラウンドにまで目を向けて読む習慣を、夏休みの「ミニ読書」の機会に身につけて欲しいなと思っています。