指示語はなぜ大切なの?国語の「読む」「書く」をもっと分かりやすくするカギに!

【第10回】文章の読み方を知る「指示語を使いこなそう!」
小池 陽慈先生

こんにちは。現代文講師の小池です。

前々回、そして前回は、〈接続詞〉に代表される〈つなぐ言葉〉についてお話をしました。

この〈つなぐ言葉〉と、そして今回学ぶ〈指示語〉とは、〝文章のつながり=論理〟をとらえていくうえで、とても大切な働きを担うものとなります。

ぜひ、ご熟読ください!

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〈指示語〉って何だろう?

まず、『自由自在』から、〈指示語〉の解説を引用してみます。

 文章を正確に読み取るためには、指示語(こそあど言葉)が指し示す内容を正しくとらえることが大切です。
 指示語は、指し示す場所によって、次のように分けられます。

 自分に近い この・これ・ここ・こう・こちら
 相手に近い その・それ・そこ・そう・そちら
 どちらにも遠い あの・あれ・あそこ・ああ・あちら
 はっきりしない どの・どれ・どこ・どう・どちら

 ふつう指示語が指し示す内容は、その指示語より前にあります。指し示す部分がわかったら、指示語を、指示する内容に置きかえて、確かめることができます。
『小学3・4年 自由自在 国語』p.245~246

いわゆる〈こそあど言葉〉のことですね。同じ『自由自在』でも、『小学高学年 自由自在 国語』では、次のように解説されています。

 「文中に一度出てきた言葉を指示語で言いかえ、同じ言葉のくり返しをさけて、簡潔でわかりやすい文章にするために用いられます。」
『小学高学年 自由自在 国語』p.248

指示語を使用する効果や意図についても解説してくれていますね。

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〈指示語〉を使わないとどうなるの…?

例えば、以下のような事例を考えてみましょう。

(例)去年私は、町の洋服屋でセーターを買った。去年私が町の洋服屋で買ったセーターは、とてもかわいらしいデザインだった。

この文章を読んで、率直にどう感じましたか。

二文目の「今日私が洋服屋で買ったセーター」という情報は、すでに一文目で述べているわけですから、わざわざ繰り返さなくてもわかる。むしろ、繰り返してしまったことで、くどい冗長な文章となってしまっています。

もちろん、ここは次のようにした方が良いでしょう。

(例)去年私は、町の洋服屋でセーターを買った。それ(そのセーター)は、とてもかわいらしいデザインだった。 

「それ」や「その」等の指示語を用いて表現したほうが、まさに「簡潔でわかりやすい文章」になるはずです。

それだけではありません。元の文章をもう一度見てください。

(例)去年私は、町の洋服屋でセーターを買った。去年私が町の洋服屋で買ったセーターは、とてもかわいらしいデザインだった。

一文目と二文目が、それぞれバラバラに記述されているように感じられませんか?

そして指示語を用いた文章を見てください。

(例)去年私は、町の洋服屋でセーターを買った。それ(そのセーター)は、とてもかわいらしいデザインだった。 

こうすると、一文目と二文目とのあいだに、密接なつながりが生じることになります。それはもちろん、二文目の指示語「それ」「その」が、一文目の内容を指し示しているからですよね。

このように、指示語を的確に運用することができると、文と文、あるいは文章と文章とのあいだに存在する〝つながり=論理〟を、はっきりと示すことができるわけです。

これは逆に言えば、

文章を読む際に指示語を丁寧に確認すれば、文章の論理を正確に把握することができるようになる

ということでもありますよね。

やはり〈指示語〉は、接続詞に代表される〈つなぐ言葉〉とともに、読解の軸となるような知識であると言えるわけです。

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指示語の指示内容をどうやって確認するの?

では、その指示語を、どのように把握していくか。より正確には、指示語が指し示す内容、すなわち指示内容を、どのようにとらえていけばいいのか。

それを考えるうえで、まずことわっておきたいことがあります。
これは完全に僕の主観でしかなく、お叱りを頂戴する可能性もあるのですが……

「こそあ」が持つそれぞれの性質、すなわち〈こ=自分に近い/そ=相手に近い/あ=どちらにも遠い〉という働きについては、正直、実際に書かれた文章を読む際には、その知識を応用するのはちょっと難しい。

実際に長年子どもたちを指導してきたなかで、僕はそう感じています。

もちろん、〈こそあ〉それぞれの性質・働きについて専門家の方々が書かれた論文などにも目を通し、「なるほど!」ととても勉強にはなったのですが、そこで得た知識を小中学生に教えるのは現実的ではありません。

かなり乱暴な考え方になってしまうというのは重々承知の上で、「読解知識としての指示語については、〈こそあ〉の違いはあまり気にしなくてかまわない」というのが、現時点での僕の持論です。

では、仮に〈こそあ〉の違いにはこだわらないとして、それならば〈指示語と指示内容の対応〉については、具体的にはどうように確認すればよいのか。

それに関しては、『小学高学年 自由自在 国語』に素晴らしい解説がありますので、それをそのまま紹介したいと思います。

 「くり返しをさける」目的から、指示内容は指示語より前にくることがほとんどです。ただし、指示語が含まれる文に指示語のヒントとなる表現があるため、いきなり前を探すのではなく、指示語を含む一文を最後まで読んで考えるようにしましょう。

机の上に、分厚い本がある。これは、僕が昨日買ってもらったものだ。
 →「これ」は、「僕が昨日買ってもらったもの」です。前からこの内容を探すと、指示内容は「本」のことだとわかります。

『小学高学年 自由自在 国語』p.248~249

この、いきなり前を探すのではなく、指示語を含む一文を最後まで読んで考えるということが、きわめて大切なポイントとなるのですね。

上記『小学高学年 自由自在 国語』に紹介されている例もわかりやすいですが、例えば、次の例文を見てください。

(例)一年生の蹴ったボールがこっちに転がってきた。私はそれを蹴り返してあげた。 

この文中の「それ」は、〈私が蹴り返してあげたもの〉と定義することができますよね。このような確認をしたうえで前の一文に戻ると、〈それ=一年生の蹴ったボール〉であることがすぐにわかる。

そして、この〈指示語を含む一文の確認〉においてしばしば大きな武器となる観点が、本シリーズでも相当な力点を置いて説明してきた、〈主語/述語〉〈目的語としての修飾語〉等の、いわゆる〈文の成分〉であるわけです。

例えば、先ほどの『小学高学年 自由自在 国語』 に挙げられる例では、「これ」は、「僕が昨日買ってもらったものだ」という〈述語(述部)〉に対する〈主語〉を構成する主成分です。

そこから、〈これ=僕が昨日買ってもらったもの〉という関係性を見抜くことができる。そしてその把握によって、直前の記述から、〈これ=本〉という情報を正確にとらえることが可能となったわけです。

あるいは、僕の用意した例文では、「それ」は「蹴り返してあげた」という〈述語(述部)〉に対する〈目的語としての修飾語〉です。

そこから、〈それ=蹴り返してあげたもの〉と整理し、結果として〈それ=一年生の蹴ったボール〉という認識に至ることができた。

まとめるならば、

指示語の指示内容を確認するためには、まずは指示語を含む一文を読み、〈主語/述語〉〈目的語〉等の〈文の成分〉などにも着目しながら指示語を分析する!

ということですね。

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大学入試に登場した文章にチャレンジ!

以下は、実際にとある難関大学で出題された文章の一部分です。傍線部「そういう作業」は、どのような内容を指し示していると考えられますか?

 幼稚園では、いっしょに歌い、いっしょにお遊戯をするだけでなく、いっしょにおやつやお弁当も食べる。他人の身体に起こっていることを生き生きと感じる練習だ。そういう作業がなぜ学校では軽視されるのか、不思議な感じがする。ここで他者への想像力は、幸福の感情と深くむすびついている。
鷲田清一『悲鳴をあげる身体』(PHP新書による。)
『大学入試 ステップアップ/現代文(完成)』p.20

「そういう作業」を含む一文を読むと、「そういう作業」は、「軽視される」という〈述語〉に対する〈主語〉であることがわかります(学校文法以外では、また異なった説明をすることになるのですが、その点は無視します)。

ここから、〈そういう作業=学校では軽視されるもの〉という内容を整理することができる。そして直前までの記述に目を通すと、この文章は、「幼稚園」と「学校」とを対照的なものとして比べていることが確認できますよね。

つまり、〈そういう作業=学校では軽視されるもの〉という情報は、裏を返せば〈そういう作業=幼稚園では重視されるもの〉と説明し直すことができる。結果として、〈そういう作業=幼稚園の日常のなかで行われる、他人の身体に起こっていることを生き生きと感じる練習〉と把握することが可能となるわけです。

大学入試レベルの文章とはいえ、この事例における指示語の使い方は、さして難しくはなかったかもしれません。

ただし、どれほど難解な使用例になろうと、指示語の指示内容の把握については、ここに示したような分析手順が、基本的なルーティンとなります。お子様の学習をサポートしていく際には、ぜひ、意識してみてください。

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「読む」・「書く」で役立つ〈指示語〉

さて、ここまでは主に、文章を読む際に〈指示語〉をどう確認するか、という側面からお話してきました。最後に、設問に答える際に〈指示語〉をどう意識するか、という観点から、少しだけ補足をしたいと思います。

まず、先ほど引用した『自由自在』での解説中に、〈指示語〉を使用する目的として、

文中に一度出てきた言葉を指示語で言いかえ、同じ言葉のくり返しをさけて、簡潔でわかりやすい文章にするため

という点が述べられていました。

これは、逆に考えれば、〈指示語とは、本来そこにあったはずの正確な内容を置きかえた、単なる代替記号に過ぎない〉ということでもあります。

つまり、「僕はそれを知った」などと口にしても、「それ」の内容が明示されないかぎり、この文は何を言っているのか絶対にわからない。指示内容の示されない指示語は、単なる意味の空白に過ぎないのです。

となると、例えば国語の読解問題で、傍線部や傍線部を含む一文の中に〈指示語〉があったなら、たとえ「指示内容を明らかにせよ」と書かれていなくとも、それは当然、確認しなければならないわけです。傍線部や傍線部を含む一文の中に意味の空白があっては、傍線部の説明も傍線部についての理由説明も、正確に実践することは難しいでしょう。

そして、もう一つ。

中学受験でも、高校受験でも、そして大学受験でも、〈記述〉を課す試験がどんどん増えている、という話は耳にしたことがあるかと思います。そしてこの〈記述〉答案の作成において、〈指示語〉はやはり大切なポイントとなる。

例えば、作成した答案が、

(例)A子は大学への合格を母に告げたが、娘の大学合格の報告を受けた母は、涙を流して喜んだ。

となっていては、やはりくどい。読みづらい。

それなら、次のようにしてしまう方が端的で読みやすい答案になるでしょう。

(例)A子は大学への合格を母に告げたが、その報告を受けた母は、涙を流して喜んだ。

(例)A子は大学への合格を母に告げたが、それを聞いた母は、涙を流して喜んだ。


ただし、逆に、あまりに〈指示語〉を多用したりすると、何がなんだかわからなくなったりもします。

例えば、これは実際によく見かける答案なのですが、

(例)A子はそれを母に告げたが、その報告を受けた母は、涙を流して喜んだ。

などと、指示内容を示さずに解答を記述することは、絶対に避けなければいけません。

繰り返しますが、指示内容の示されない指示語は、単なる意味の空白に過ぎないのですから。

宣伝となってしまい恐縮ですが…。

笠間書院より刊行されている拙著『一生ものの「発信力」をつける! 14歳からの文章術』(このたび、おかげさまで重版出来となりました!)の「第2部 表現編 03指示語を使いこなそう」では、文章を書くうえで〈指示語〉をどのように考えていくか、詳しく解説しています。お読みいただけると幸いです。

関連書籍

一生ものの「発信力」をつける! 14歳からの文章術

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今回はここまでとなります。

文章の読み方が身についてくると、問題を解く場面だけでなく、日常の文章の書き方や読書の楽しさも変わってきます。

本シリーズの連載も、残るはあと2回。最後まで、何卒よろしくお願いいたします!

著者紹介

小池 陽慈


1975年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。早稲田大学大学院教育学研究科国語教育専攻修士課程中退。現在、大学受験予備校河合塾および河合塾マナビスに現代文講師として出講し、テキスト作成の全国プロジェクトも担当している。また、国語専科塾博耕房でも教鞭をとる。

単著に『無敵の現代文記述攻略メソッド』(かんき出版)『大学入学共通テスト国語[現代文]予想問題集』(KADOKAWA)『小池陽慈の 現代文読解が面白いほどできる基礎ドリル』(KADOKAWA)

共著に、紅野謙介編『どうする? どうなる? これからの「国語」教育』(幻戯書房)難波博孝監修『論理力ワークノート ネクスト』(第一学習社)

川崎昌平『マンガで学ぶ〈国語力〉 ―大学入試に役立つ〈読む・書く・考える〉力を鍛えよう―』(KADOKAWA)を監修。その他、執筆記事多数。


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